「アメノフシ」とは?

ホツマツタヱには「アメノフシ」という言葉が出てきます。「アメノフシ」とは、現代でいう厄年のことですが、縄文時代に既に厄年の概念があったのですね。そして、縄文時代にも行われていた“ある風習”が、現代でも一部地域に残っています。


その“ある風習”の謎を解くヒントは、「四十二の二つ子(しじゅうにのふたつご)」

文献には、土岐累代記(1615)や歌舞伎・御国入曾我中村(1825)にみられます。

その意味するところは、「数えで、父親が四十二歳の時に二歳になる男児」で、父親が四十一歳の時に生まれた男児(数え年なので、生まれた時点で一歳、ちなみに大晦日に生まれた子は数え年では、翌日に二歳になります)のことです。


父親が四十一歳の時に生まれた男児は親を食い殺すという言い伝えがあり、その災いを避けるために仮に捨てて他人に拾ってもらうという風習で、理由としては、42に2を加えると、44で「死し」となるのを忌み嫌うからとされます。


歴史上の人物にも捨て子にされた方がいます。

『南紀徳川史』によると、吉宗は誕生してすぐに扇ノ芝(和歌山城の南西にある扇子を広げたような三角形の地)に捨てられ、岡地区の産土神(うぶすながみ)、刺田比古(さすたひこ)神社の宮司岡本周防守が拾い親となり、五歳まで家臣の加納家で育てられました。和歌山に捨て子の風習があり、親の厄年に生まれた子や体の弱い子が誕生した時、形式的に一旦捨てて、すぐ拾うと丈夫に育つという言い伝えがあったようです。


それでは、ホツマツタヱでは「アメノフシ」をどのように説明しているのかというと、


父のイサナギが40歳、母のイサナミが31歳のときに、長女ワカヒメが生まれます。アメノフシに当たる、父42歳、母33歳のとき、男の子は母のクマ(心の病)の原因となり、女の子は父のヲヱ(身体の病)の原因となるため、形式的に捨てられて、カナサキという方に育てられます。このワカヒメは、ホツマツタヱを読み解くための重要人物の一人です。


さて、私が驚いたのは、縄文時代にすでに厄年の概念があったこと、そして、「形式的に」捨て子にするという風習があったということです。


「アメノフシ」は天の節目ということですが、厄年とは体調の変化などが起こる節目の歳という意味で、何か不幸に見舞われる不運な歳ではありません。神社やお寺で厄除けの祈祷をすれば、何も起こらないというわけではないのです。縄文時代の方が、意味に合った言葉を使っていたといえますね。


また、一時的に子供を誰かに預けるのではなく、捨て子にして一旦縁を切ることに意味があると、縄文人は考えていたのでしょう。現代人の方が、親に言われたから、昔からそうしているからなどと、あまり意味を深く考えずに風習にしたがっている場合が多いのかもしれません。


縄文人の深い哲学、学ぶに値すると思いませんか?


いつもありがとうございます。
ホツマまなびや白鳥校 教人(おしえと)
市口 哲也

神様に呼ばれる神社参拝

「神様に呼ばれる神社参拝」 「龍神さまに呼ばれる神社参拝」 著者の 市口 哲也 です。 講座やワークショップの詳細、日程の確認、申し込みは 各ページをご覧ください!

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