桃の節句

新暦の3月3日、「桃の節句」ですね。

9月9日を重陽の節句というように、陽の数(奇数)が重なる日を、私たち日本人は特別な日として祝います。日本人は、クリスマスやハロウィンなども、うまく取り入れて、あたかも自分たちの文化であるように楽しむ国民性です。そのため、私たちが日本の伝統文化だと考えている行事でも、その起源や、いつの時代から始まったものなのか、実はよく知らないものが、たくさんあります。


「桃の節句」をネットで検索すると、中国から伝わった「上巳の節句」のことで、ひな祭りとは、草や藁で作った人形で体を撫でて、川に流すことで厄払いをしていた行事と、平安時代の貴族階級の女の子の人形遊び「ひいな遊び」が合わさってできたもので、現在のようにひな人形を飾るようになったのは江戸時代以降のようです。


したがって、「桃の節句」もクリスマスやハロウィンと同じように外国(中国)の文化を取り入れて、いつの間にか日本の伝統行事のようになった、と考えるのは少し待ってください。

実は、古事記、日本書紀の原書とされる『ホツマツタヱ』に「桃の節句」のことが書かれているのです。時代は、アマテルカミ(天照大神)が生まれる少し前、縄文時代のことです。現在でいう五節句を、桃の花、菖蒲やちまき、七夕、菊の花や栗で祝ったとあるのです。そして、「桃の節句」の起源についても触れています。


昭和世代の人は特に、「はじめ人間ギャートルズ」のイメージが強く、稲作が始まる前は、毛皮を身に着けて、石オノを持ってマンモスを追いかけていたと、縄文時代と石器時代をごちゃまぜにしている人も多いのではないでしょうか?


縄文時代は、今の私たちが想像する以上に、文化的に進んだ社会だったのかもしれません。縄文時代の暮らしや文化、縄文人の精神性や哲学は、「ホツマツタエ」や「ミカサフミ」に代表される「ヲシテ文献」から知ることができます。


いつもありがとうございます。

ホツマまなびや白鳥校 教人(おしえと)

市口 哲也

神様に呼ばれる神社参拝

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