神様の試練はあるのか?

神様が怒ったり、罰を与えたりすることはあるのでしょうか?

自然災害や疫病の流行を「神様の試練」という人がいます。しかし、神様が、人間が亡くなってしまうような試練を与えるでしょうか?


古事記・日本書紀(記紀)によれば、大神神社(おおみわじんじゃ)の大物主神(おおものぬしのかみ)は「祟り神(たたりがみ)」とされます。

第十代崇神天皇は、疫病の大流行に悩まされていました。夢に大物主神があらわれて、「末裔の意富多多泥古(おおたたねこ、古事記の表記)に自分を祀らせれば、祟りも収まり、国も平安になるであろう」と神託を述べた、とあります。

この話から、大物主神が自分を祀らせるために、自ら疫病を流行させた「祟り神」であるとされています。


古事記は大和言葉に漢字を当てて表記したもの、日本書紀は対外的に国史を示すために漢文で書かれたものなので、私たち日本人が読むためにも翻訳が必要です。

この翻訳は、大和言葉 ➡ 漢字 ➡ 現代の日本語というステップになっています。大きな誤訳は無さそうに思うかもしれませんが、記紀が成立した頃の日本人は、現代の日本人のように漢字に慣れていなかったので、漢字の持つ意味を完全には理解できていなかったと思います。感覚的には、古文 ➡ 中国語 ➡ 現代の日本語、というような翻訳に近いでしょうか。


大物主神が「祟り神」とされてしまった原因も、この翻訳の仕方にありそうです。

歴史書は編纂した人や組織にとって都合の良いように書かれていることを考慮しなければなりませんが、記紀編纂者に大物主神を悪者にする意図は無かったように思います。もし、大物主神を祟り神として描くのなら、他の神様に成敗してもらうか、陰陽師に封印を命じるか、何らかの対策をするのではないでしょうか。


「自分を祀れば、疫病は収まる」ということは、自分を祀らせるために疫病を流行させた、自作自演に違いないと誤訳したのでしょう。


本当に大物主神が祟り神なら、祟りを鎮めるための神事や祭りが今も続けられているはずです。大神神社では、4月に「鎮花祭」が斎行されますが、春の花びらが散る時に疫神が分散して流行病を起こすため、これを鎮遏(ちんあつ)するために大神神社と狭井神社で祭りを行うとあります。決して、神様の祟りを鎮めるために、神様をお祀りしているのではないのです。


大神神社には多くの崇敬者がいて、境内は清々しく、祟り神でないことは参拝すれば分かります。知識だけで、祟り神と決めつけるのは、現代のフェイクニュースを鵜呑みにする人と同じです。ぜひ、実際に参拝して、境内の雰囲気や神様の存在を感じて欲しい神社です。


次回に続きます。


いつもありがとうございます。

見えない世界を伝える神社ナビゲーター

市口 哲也

神様に呼ばれる神社参拝

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