「神様に呼ばれないとたどり着けない」の真意とは?
玉置神社や天河神社は、「神様に呼ばれないとたどり着けない」といわれます。
私が玉置神社に初めて参拝したのが、ちょうど4年前(2015年)の今日、10月3日でした。伊勢や熊野、天河神社には、それまでに何度も参拝していましたが、私も「神様に呼ばれないとたどり着けない」という都市伝説に惑わされて、参拝するのをためらっていました。その頃は、まだ会社員をしていて、神社参拝は趣味のひとつ、今のように様々な方を神社に導くお役目を始める前でした。
2011年の東日本大震災を境にスピリチュアルの世界に目覚め、伊勢でご神氣を感じるという衝撃的な体験をしてから、神様や龍神さまの癒しの力に、すっかり魅了されていました。あの頃は心身ともに傷ついた状態でしたが、そのお蔭で、自分の人生を見つめ直し、自分らしく生きるためにはどうすればいいかを考えて、2016年の熊本地震の直前に会社員を辞めました。
玉置神社がなぜ「神様に呼ばれないとたどり着けない」といわれるのか?
私の本、「神様に呼ばれる神社参拝」にも書きましたが、玉置神社の神様が参拝者を選別しているわけではありません。ほとんどの人は歓迎してもらえます。玉置神社は、玉置山(標高1,076メートル)の9合目に位置し、大峰山系の霊山のひとつです。こちらには神格の高い山の神様が鎮座しておられ、懐が深く、どんな人でも受け入れてくださいます。玉置神社に参拝できるかどうかは、私たち人間側の問題なのです。つまり、私たちに霊山である玉置山に足を踏み入れる「準備」ができているかどうか、ということです。
「準備」とは何か?
神域である霊山に足を踏み入れるのですから、体調を整えて、穢れを持ち込まないというのが一番重要です。難しいことではありませんが、穢れについては、自分自身の穢れに気づいていない人が多いようです。神様に穢れを祓ってもらうために、神社参拝をする人もいると思いますが、あなたのマイナス思考や、不規則な生活による穢れは、あなた自身で改めるべきです。
「神様に呼ばれないとたどり着けない」という都市伝説が生まれた理由とは?
道に迷ってたどり着けなかったという話は、おそらく昔のカーナビのせいだと思います。「玉置神社」をカーナビで設定できなかったり、設定できたとしても神社の近くに案内しようとするので、駐車場にたどり着けなかったのではないかと思われます。現在では、道案内の看板があるので、迷うことはありません。
今月は、3回ほど参拝する予定にしています。あなたも都市伝説に惑わされず、ぜひ偉大なる山の神様に会いに行ってください。
いつもありがとうございます。
見えない世界を伝える神社ナビゲーター
市口 哲也
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