なぜ、「ヒロタ」が聖地なのか?
廣田神社が鎮座するのは、兵庫県西宮市大社町で、近くに広田町という地名はありますが、地名としては「西宮」です。また、西宮神社の福男選びがニュースなどで全国的に有名になったこともあり、知名度としては、廣田神社よりも西宮神社の方が高いといえます。
しかし、古代においては「ヒロタ」と呼ばれ、廣田神社の創建当時は、西宮市のほぼ全域は廣田神社の境内でした。六甲山、甲山が本来の聖地であり、山の宮である廣田神社に対して、海に近い浜南宮が今の西宮神社です。その名残とされるのが、西宮神社の境内にある「南宮神社(廣田神社境外摂社)」です。
「西宮」という地名は、京の公家たちが「廣田神社」を「西の宮」と呼んだことに由来しています。
「ヒロタ」という地名については、歴史書「ホツマツタヱ」において、
『翁「拾た(ヒロタ)」と、西殿(ニシトノ)にひたせば(養育した)』とあり、
以前、このブログでも紹介した「アメノフシ」という厄年にまつわる風習で、ヒルコヒメが捨て子にされた話に由来します。
そして、命が尽きることを悟ったアマテルカミ(天照大神)は遺言として
『后、ヒロタに行きて、ワカヒメとともに ヰココロ(女性、妻の心)を守るべし
我はトヨケ(豊受大神)とヲセ(男性、夫の心)を守る これぞヰセ(夫婦)の道である』とあり、后であるセオリツヒメ(ムカツヒメ)のミタマをワカヒメとともに、ヒロタに祀るように指示します。
これが、「ヒロタ」の地が聖地である理由です。このようなことは、記紀には全く書かれていません。もちろん、現時点で「ホツマツタヱ」は偽書として扱われていますので、上記のことが正しいという確証はありません。しかし、「ホツマツタヱ」が真実の歴史書であるとすれば、歴史の謎解きができるのです。あなたも日本(ヒノモト)の本当の歴史と本当の姿を知ってください。
いつもありがとうございます。
見えない世界を伝える神社ナビゲーター
市口 哲也
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