神様が祟るなんて・・・

大神神社に祀られる大物主神(おおものぬしのかみ)は、誤訳のせいで「祟り神(たたりがみ)」にされてしまったという話をしました。

それでは、ホツマツタヱにはどのように描かれているかというと、ホツマツタヱの33アヤに、崇神天皇の夢の中で、大物主神が話すには

「タセサルハ ワガコゝロアリ(治せざるは 我が心あり)

ワガハツコ オゝタゝネコニ(我が裔孫(末孫) オオタタネコに)

マツラサバ ヒトシクナレテ(祀らせれば ひとしく平れて)」とあります。

つまり、「疫病で国が治まらないのは、私の考えがあるからだ。私の子孫のオオタタネコに私を祀らせれば、国は平安となる」ということです。


もちろん、「祟り」という言葉は出てきません。但し、「ワガココロアリ」をどのように解釈して、どのように訳すかによっては、意味が変わってきます。


今のように疫病の原因が、はっきりと分かっていれば、「祟り」という発想にはなりません。しかし、昔は病気を祈祷で治そうとしていたことからも分かるように、魔が入り込んで病気になり、祟りによって疫病が流行するというのが常識的な発想だったのかもしれません。そう考えれば、その時代の常識に基づいて誤訳されてしまった、ということでしょう。


私は、古代の人々は、現代人よりも精神性が高かったと想像しています。「見えていること」に隠れた「見えないもの」についても、敏感に感じ取っていたと思います。時代が進むにつれて、医療や科学は発達しましたが、精神性は逆に衰えてきました。精神性が低くなり、医療や科学が未発達のときの考え方が「疫病の流行=祟り」だったのでしょう。その考え方からすれば、突然の大災害は「神様の怒り」や「神様の試練」と考えても、仕方がないのかもしれません。現代の私たちは、疫病にも大災害にも原因があることが分かります。古い考え方に囚われず、新しい考え方で、歴史を再検証することが必要でしょう。


ちなみに「祟り(たたり)」と崇神天皇の「崇める(あがめる)」は別の字です。画面上では同じような漢字に見えますが、似て非なる字ですので、ご注意を。


ぜひ「ホツマツタヱ」を、新しい考え方で歴史を学ぶキッカケにしてください。

いつもありがとうございます。

見えない世界を伝える神社ナビゲーター

市口 哲也

神様に呼ばれる神社参拝

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