「直感」と「論理的な判断」優先するのはどちらか?

見えない世界を伝える神社ナビゲーター市口哲也です。


あなたは「直感」と「論理的な判断」のどちらを優先していますか?


好きな神社や、以前から行きたいと思っていた神社の特集をテレビで見たり、友人からその神社の話を聞いたり、電車の中吊り広告で見たり、と立て続けに、その神社の情報を見聞きすることがあります。


直感的な人は「神様に呼ばれている」と思います。

実際には、その神社の神様が呼んでいるというよりは、あなたの守護神や守護霊からのお知らせであることが多いようです。


そして、直感的な人は、善は急げとばかりに、予定をキャンセルして、朝早く起きて、とにかく、その神社に参拝しようとします。


直感的な人は、タイミングが良いと吉兆と判断しがちですが、詐欺に遭うときも、同じようにタイミングが良いこともあるので、注意が必要です。


論理的な人は、立て続けに情報を見聞きしたのは偶然かもしれないと思いながら、直感も大事にするので、スケジュールを確認し、天気予報を見ながら、神社のホームページで祭事の予定を調べて、ベストタイミングで参拝できる日程を考えます。


論理的な人が直感を大事にするのは、直感を否定することが論理的ではないからです。直感や第六感などありえないと全否定することは決め付けであり、証明はできません。いわゆる「悪魔の証明」と呼ばれるものです。


私の場合は、ベストタイミングの参拝を考えますが、結果的には予定をキャンセルして参拝することもあります。論理的な思考と、直感的な行動が混在しています。二面性があるというべきかもしれません。


さて、私が記紀(古事記、日本書紀)に違和感を覚え、歴史書「ホツマツタヱ」を学び、研究しているのは、この直感と論理的思考が混在しているからといえます。


「ヲシテ文字」と「ホツマツタヱ」に出会ったとき、直感的に面白い、これはきっと事実を描いている、と感じました。


しかし、その内容を100%信じているわけではなく、記紀と比較しながら、その確度(どの程度、確かなのか)を吟味しながら、読み進めています。


白黒はっきりしたくて、すぐに二元対立で考える方もいますが、いろんな考え方や見方があります。


正史とされているから記紀が正しくて、「偽書」とされているから「ホツマツタヱ」を否定する、というのは決め付けです。あなたも自分の直感を信じてください。

神様に呼ばれる神社参拝

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